(春の数珠丸の150万登録とはちょっと違って、ツイッターで100万?150万?リツイートが
条件、しかしあっという間に達成されちゃったみたいですねw)
デザイン担当はソハヤと同じ絵師さん、ちょっと気になるのは担当声優が浪川大輔さんなこと。
知ってるのは、HUNTER×HUNTER(2)のヒソカと賭博黙示録カイジの一条かなぁ。
どんなキャラクターになるのか楽しみです!
しかし、ソハヤがしまわれてたことをちょっと根に持ってるのに続いて
大典太は自分が使われるのは病の時だけだろうと少々やさぐれている様子w
なんか、二人とも戦いたかったんだねぇ〜。
御手杵のログインボイスで、「今度こそは、出番かなぁ」を聞く機会がある度に
”出番が欲しけりゃはよ出てこいよ〜”と思ってたもんですが(入手前)
二振りとも鍛刀キャンペーン入手のようですけど、首尾よく鍛刀できたとしたら、
まぁ活躍させてやっから(笑)ウエメセ~
多分なんとなーく、ダメなんじゃないかって気はしてますけど(笑)(笑)
チマチマと資源を貯めつつ、チャレンジしてみようと思います。
話題変わって。
ヤフーオークションで非売品という論文集『伊勢の刀工』(多分昭和38年発行)を落札しました。
前半の村正の刀の写真集、2枚目に妙法村正が来てましたよん。
気になったところは、村正本家四代の系譜をまとめた箇所。
初代村正(千子・俗名を彦四郎とされる)は、応仁・文明頃桑名に在住。
幾つかの刀工系譜には「(応仁の頃)法名を”妙台”と号す(とされる)」とあるそうです。
(そして永正十年(1513年)以後・天文十二年(1543年)までに代替わりがあったと見られる……
永正十年は”妙法村正”が作刀された年ですね)
法名は、仏門に入った人に与えられる名・または戒名(故人に与えられる名)を指すと辞書にありますが
初代が生存していた頃(応仁)に号すってことは、初代村正は出家の身だった……?
”妙”の字がついているというのは、日蓮宗に帰依していた可能性大……?(日蓮宗の法名には”日”や”妙”がつく場合が多い)
これらの記述からすると、”妙法村正は初代村正晩年の作”説の信憑性が増すような??
ただ、「村正の永禄以後(三代目以後)代々の石碑は」桑名の天台宗寺院にあったそうで、
天台宗も法華経が重要な経文ですし(日蓮聖人も立宗以前は天台宗僧侶を名乗っていた)
それだと日蓮宗では崇めない阿弥陀如来の梵字が、蜻蛉切に刻まれている説明もつく?(阿弥陀如来が天台宗の本尊とか)のですが(後述)。
この本に収められている論文では、三名槍のひとつ「蜻蛉切」の作成者は
”三河文殊派(または手・派?)の藤原正真(金房正真)”とは別人で、初代村正の弟子(または息子)と見られる”千子正真”の二代目にあたる”藤原正真”ではないかと推測されています。
(金房の他作品と「蜻蛉切」の銘の比較が根拠になっています)
村正派の本拠地・伊勢と三河武士の本拠地は非常に行き来が容易いので、村正派の正真が現地に出向いて刀や槍を打ったのではないか?とのこと。
「更に一般に藤原姓を冠した正真を以て、直ちに三河文殊なりと観るのは誤であろう。(中略)
何故なれば文亀頃の右衛門尉村正(二代目村正)は藤原姓を冠し、又天文頃の三代村正も藤原朝臣と切銘している事実から観て、千子正真が藤原姓を名乗っても何ら不思議ではない。」(以上、引用は『伊勢の刀工』
(3)勢州桑名の刀匠・稲垣善次著より)
ここで、『刀剣乱舞』に繋げますと「蜻蛉切」の設定には「天下三名槍のひとつで、”村正の一派である”藤原正真作の槍」とあるのですが、そういえば「三河文殊派」とは書かれてないなと……。
(まぁ、何分にも50年以上前の論文ですからその後新事実などが出てきているというのは十分あり得ますが)
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